7081744:「是・非」論と「可能・不可能」論の区別について tikurin 2011/09/21 (Wed) 14:05:27
「是・非」論と「可能・不可能」論の区別ができない日本的思考について
http://sitiheigakususume.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/post-1fae.html
のコメントです。

smさん、コメントありがとうございます。

>「是か否か」の前に「可能かそうでないか」をおくのはいつでもそうなんですか?並立するものではないかと。


tiku 山本七平が言っているのは、政策論において「是か非か」の議論と「可能か不可能か」の議論を区別するということです。前者より後者を優先させよ、といっているわけではありません。この両者を区別していれば、「是か非か」の議論では「是」だが、「可能か不可能か」の議論では「不可能」なので、その選択はしない、ということになります。しかし、この区別ができていなければ、「可能か不可能か」はやってみなければ判らない、「是」なら先ずやるべきで、そのやる気が不可能を可能にするとなり、終いには「可能か不可能か」を論ずること自体が間違いだ、といったことになりかねません。

 なお、こうした議論の区別ができるということは、自分の力を正しく把握することにつながります。従って、例えば、日露戦争のように思い切って戦争を始めた場合でも、開始する前にどの段階で講和すべきかを考え、そのために必要な手をあらかじめ打っておくということも可能となります。逆に、こうした議論の区別ができなければ、自分の実力を正確に把握するということもしなくなるし、相手の実力を正確に把握するということもやらなくなる。むしろそういった議論をする奴がいるから、負けるのだと言う事になって、迎合的言論以外は封殺されることになってしまう。実際そうなったのです。

>勝算があれば戦争をしていいのでしょうか?

 もちろん、可能か不可能かの議論で勝算があっても、先の議論の区別がしっかりできていれば、当然、その戦争が「非」と判断されればやりませんし、「是」と判断されればやると思います。しかし、この場合に問われることは、その国の「是・非」の判断であって、当然のことながらこの判断を誤ってはいけないわけです。満州事変などは、この「是・非」の判断を誤ったのですね。すでに、その時は不戦条約が締結されており、あからさまな帝国主義の時代は終わりを告げていたわけですから。

 なお、この「是・非」論と「可能・不可能」論の区別とは、別の言葉で言えば「価値論」と「事実論」の区別ということになります。前者は論争の対象となるが、後者は論証の対象となり、これは価値論とは別に徹底した科学的検証が求められることになります。

>日本の原子力技術が発展したのは他のエネルギー技術の研究費を回したからではないのですか?

tiku 自民党時代のエネルギー政策では原発の占める割合は30%となっていたが、それを2030年までに53%まで増やすとしたのは民主党です。なぜか、CO2削減目標を2020年までに1990年比で25%削減するとしたからです。国連で大見得を切ることに急で、原発のリスクを正確に把握していなかったということですね。だから、再生可能エネルギーでまた大見得を切るようなことはすべきではないのです。それより、原発や各種の再生可能エネルギーの効用とそのリスクについて、その科学技術的可能性・不可能性の厳密な検証のもとに、冷静な政策判断をすることが必要です。

>今年は未曾有の自然災害の年ですね。
台風を見ても地球の天候もいままでどおりとはいかないみたいで、リスク予測も難しくなるだろうなと個人的には思うのですが。。。。

tiku 台風に堪える風車を作るのも大変でしょう。太陽パネルも電池も飛躍的な技術革新がない限り必要な電力需要はまかなえないようです。化石燃料が枯渇することは判っているし、日本が鎖国時代の農本国家に戻れるわけもない。まして、低開発国の近代化を阻止する訳にもいかない。また、CO2が増えればどんな自然災害が起こるかもも判らない。そんなことが予測される中で、世界と協調しつつ日本が生き延びかつ文化的な生活を実現するためには、どうしたらいいか。そのために科学技術をどう使うか、一人一人が自分の問題として考えることですね。