6973767:昭和の軍人の行動に整合性はあるか tikurin 2011/07/19 (Tue) 15:00:57
健介さんへ
参照(http://sitiheigakususume.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/post-5045.html?cid=84339852#comment-84339852

>張作霖の爆殺は今一度調べる必要があると思います。

tiku 私見は述べていますので、健介さんが調べた結果を教えて下さい。

>それはさておいて、当時の軍の行動をなんらかの、整合性が在る行動と見るのはまちがいではないかと現在はおもっています。
 確かに色々な理屈、思想理想、利害などはあるでしょうが、それらは一定の時間系列の事象として考えた節が見られないからです。

tiku 一国一党制の軍部主導の国家社会主義政治体制を作ろうとした、ということについては統制派も皇道派も同じで、この点に関しては整合性があったのですね。その完成を阻んだものが皮肉なことに立憲主義を明治憲法以来の国是と信じた昭和天皇だったわけで、これが、昭和天皇が戦後の日本人に遺した最大遺産だと思います。

 それから、彼らに一貫していたのは一種の「心情主義」(陽明学的には「知行一致」)ですね。で、三島のように皇道派青年将校の純粋心情に同情を寄せる人もいるわけですが、山本七平は”三島氏は「ふけ飯」という言葉を知らなかったのではないか”といっていました。つまり、軍という合理的組織の中でのエリート青年将校の自己心情の絶対化は、内地では同情をかっても、戦場では独善・傲慢となることが多く、「私的制裁」の常習犯の多くは、そうした人物だったといっています。兵隊達は彼らに「ふけ飯」食わせることで”抵抗した”とのことです。

 まあ、人間は感情の動物だから、「心情主義」が悪いとは言えないわけですが、それは自分の思想信条の自由の範囲に納めるべきであって、社会の合理的組織の中において、それを激発させるようでは、リーダーとしては失格だ、ということですね。もちろん芸術家であれば一向にかまわないわけですが。
  
>山本五十六は対米戦争をまったく考えていません。真珠湾以降の軍事作戦は考えていません。

tiku 山本は、最後は義経の「鵯越」、信玄の「川中島」、信長の「桶狭間」を合わせたような賭け勝負に出たのですよ。賭けですから負けたら終わりなのです。賭けなどに訴えないで、ハルノートの不当性をアメリカの世論に訴えつつ、アメリカ軍を海軍の伝統的な邀撃作戦で迎え撃つ。そして、遠くアジアまで侵攻してくるアメリカ軍に硫黄島のような犠牲を強いつつ、その間、アメリカ世論にその不当を訴え、蒋介石に負けないようにそれを徹底的に利用し味方につける・・・などといっても、そんな戦略的計算が始めからなくて行き当たりばったりなのですから、無い物ねだりをしても仕方ありませんが。

 その姿を比喩的に言えば、日中戦争については「慢鼠、窮猫に噛まれる」、日米戦争については「窮鼠、トラを噛まされる」だと思っています。そこから学ぶべきこと、自分の国の現実をよく知ったうえで、小さくても「慢」や「窮」に陥らない「独立自尊」の落ち着いた国になるべきだ、そんな風に思っています。

>暴走したなら、暴走しない状態があります、ではそれはなにか?これの提出が必要ではないか。
 暴走ではなく、わが国においてはある種の状況になれば、普通の行動としてするものと見て、初めて理解ができるのではと現在では思います。
 もっというと、精神病患者の行動としてみたほうが色々考えやすいのではと見ています。

 現在の民主党政権がそれです。菅直人氏が当時の軍の行動とおなじものではないかという類推です。

tiku それが「空気支配」というやつで、これにまかれると合理的な判断ができなくなってしまうのです。菅首相は、その「空気」を「再生エネルギー法案」や「脱原発」で作り出し、自分への支持を集めようと必死になっているわけで、最も警戒すべき政治家と言えます。こういうタイプの人は、一方で自分の権威を守るために怒鳴りちらしてばかりいるわけで、”フケ飯”食わされる典型的なタイプだと思います。だが、彼が粘れば粘るほど、民主党の本音の思想が明らかになるわけで、長い目で見たらその方が良いのかも知れません。高い代償を払うことになりますが・・・。