6955904:戦後の「歴史観」の分裂をいかに克服するか tikurin 2011/07/01 (Fri) 16:37:32
HP「竹林の国から」「金権、ルーピー、ペテン師だった民主党のリーダー」コメント参照http://sitiheigakususume.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/post-00a6.html

ap_09 様

 いつも参考になる貴重なご意見ありがとうございます。

>日本人に限らず、世界のどこの民族でも、複数が異郷の地にあれば、自分達のコミュニティーを形成するのは、普遍的に見られる現象のように思います。

tikuここでは国家と民族の関係を扱っているわけですが、戦前の日本とアメリカの間に生じた排日移民法の問題には、「低い生活水準に対する反感、ゲットーを形成して生活する新来者への生理的嫌悪、低い賃金労働者に対して中流下層の感じる脅威、生活習慣、宗教に相違から生じる違和感」などの一般的な人種的迫害要因とは別に、白人の黄色人種に対する人種的蔑視が加わっており、さらに注目すべき点は、その排日運動の背後に日露戦争以降急激に膨張しつつある日本そのものへの恐怖の感情(黄渦論)が存在していたということです。

 これが1906年のサンフランシスコ市学務局による日本人学童の公立学校からの隔離(公立学校は公費支弁であったのでそれから排除した)に始まり、1913年カリフォルニア州の土地法(帰化不能外国人の土地所有禁止など)、1920年の土地法改正(借地権まで否認)、その合衆国西北部11州への拡大、1922年には米国大審院で日本人の帰化不能が決定され、さらに、1924年には排日移民法が合衆国議会を通過し、日本人の移民は完全に禁止されました。この間、日本政府は紳士協定による自主的な移民の制限や、写真結婚の禁止などによって事態の沈静化に努める一方、排日立法の阻止にむけた外交交渉を重ねましたが成功しませんでした。

 こうした一連のアメリカ人のとった反日的行動が、当時の日本人の誇りを深く傷つけ反米感情を一挙に高める事になりました。これが、太平洋戦争の遠因となったことは間違いないと思います。当時の日本人の多くはアメリカが好きで、「これほどまでにアメリカ人に憎まれていたのかと愕然とした」といいます。また、元来は親米・知米的であった学者、思想家、実業家の間にも、反米・憎米の感情が現れました。徳富蘇峰は「排日移民法実施の日を国辱の日とせよ」と書き、これに対して、キリスト教界の代表的人物であった内村鑑三もこれを熱烈に支持しました。

 また、日本経済界の重鎮だった渋沢栄一も、この排日移民法がアメリカ議会を通過した時の衝撃を次のように語っています。

 「永い間、アメリカとの親善のために骨を折ってきた甲斐もなく、あまりに馬鹿らしく思われ、社会が嫌になるくらいになって、神も仏も無いのかという愚痴も出したくなる。私は下院はともかく、良識ある上院はこんなひどい法案を通さないだろうと信じていましたが、その上院までも大多数で通過したということを聞いた時は、70年前にアメリカ排斥(幕末期の攘夷運動のこと=筆者)をした当時の考えを思い続けて居たほうが良かったかというような考えを起こさざるを得ないのであります。」

 戦前の日米関係を考える場合は、白人の黄色人種に対する人種的偏見に加えて、成功したアジア人である日本人に対する警戒心と恐怖心がアメリカ社会に広範に伏在していたことを考慮に入れるべきだと思います。アメリカ海軍は日本を潜在的敵国であると見なしはじめ、対日戦争を想定した「オレンジ計画」が作成され、西海岸では上記のような激しい反日運動が巻き起こりました。これに対抗するように、日本側でも1907年の「帝国国防方針」では、海軍がアメリカを仮想敵国とするようになったのです。

>社会的ダーウィニズムとは、私にはなんのことかよくわからないのですが、たとえばアメリカ南部では日本の田舎のような、人間関係のしがらみが結構大変だと聞きます。一方、ニューイングランドの田舎の白人優勢の地域では、共同体意識が高く、人々は暖かく、安全で住み易いです。多民族の入り混じるメトロポリタン地域では、治安が悪く凶悪犯罪が多く、うかうか道を歩くこともできません。真昼間から銀行強盗や銃撃事件など、かなり頻繁にあります(ニューヨークの中心街はちょっと違うようです)。また、公務員や権力者の汚職や腐敗は日本よりよほどひどそうだという、個人の観察による実感です。

tiku 江藤淳が、アメリカの暗黙の日常倫理が適者生存つまり社会的ダーウィニズムだといったのは、氏がロックフェラー財団の交換研究員(プリンストン大学)として1962年から2年程アメリカに滞在した時の経験に基づいていました。

 「それは民主主義のモデルでもなければ資本主義の悪の権化でもなかった。そして力の最大限の発揮と、強者の勝利という明快な原則の作用を、いささかも隠そうとしないこの国のあり方・・・力が正義だという思想が支配的だというのではない。しかし、この国で『正義』を行っているのは、ほかのなんであるよりも、力であった。」

 米国を評する時、「人種のるつぼ」といったり「モザイク社会」といったりしますが、多様な人種の集まりを一度るつぼで溶かしてアメリカ人という一種の合金国民を造る、その統合原理が、この社会的ダーウィニズムに支えられた力の論理なのではないかということ。また、その統合原理が強力であるゆえに、その社会が、あたかも「モザイク画」のように、多様な民族が全体的な統一を保ちつつ共存することを可能にしているのではないか、ということです。あくまで、私の論理的な推量に過ぎませんが。

 いずれにしても、地域社会が「共同体意識が高く、人々は暖かく、安全で住み易い」ものとなるためには、その社会が伝統的な文化的・宗教的規範意識に支えられることが必要です。さらに、それが国家として全体的な統合を保つためには、その統合原理が明快で、それが国民に共有されていることが必要だということですね。

>>tiku 日本民族の文化的統合原理を「移民を米国のように有効に活用」できるほど自覚的で確かなものにする必要があるということではないでしょうか。他民族の問題ではなく自民族の問題だということ。

>おっしゃることに全面的に賛成です。大量移民ができる準備を、日本は全くしていません。その状態で、大量移民受け入れなどしたら、結果は社会混乱、治安の悪化、その結果、経済のさらなる悪化、そして、それを利用して侵略してくるであろう外国の動きなど、文字通り日本沈没になりますよ。
グローバル経済には、まず、外へ出かけて行って攻勢をかけるべきであり、準備も無しに、いきなり本拠地を外国人に開放し明け渡すような愚は、犯すべきではないと思うのです。

tiku 戦前のハワイの日本人移民の記録を読むと、彼らが特別に知識人や教養人であったわけでもないのに、子弟の教育に当たっては、自らの伝統的・文化的な規範意識をしっかり伝えていたようですね。男児厨房にいるべからず、で「男はそんな細かいことをしてはいけない、もっと大きなことをしなさい」とか、「どんなに貧乏であっても理想的な武士の行動をするのが日本人である」とか、「勤勉に働き、家族だけで家を保っていかなければならない、外に頼るのは家の恥である」「政府の援助金をもらうのは恥だ」など。

 また、戦場においては、国家や軍に対する忠誠心が重視され、自分が危険であっても友達を助けるのが武士道精神である、などといったような日本的倫理観を自然に身につけていたといいます。

 この点、戦後の日本は、「日本人の歴史観」が完全に崩壊あるいは分裂してしまい、そのため、上に紹介したような日本人の伝統的価値観や倫理観のもつ悪い面だけが強調されるようになってしまいました。しかし日本の場合は、こうした歴史観を日本人が共有することによってはじめて、その伝統的倫理観が保持され国家としての全体的な統一が保たれるわけで、この再構築が強く望まれていると思います。

 もちろん、戦前の,特に昭和10年代に支配的となった歴史観は、尊皇思想に基づく家族主義的な忠孝一致の倫理観で、英米流の個人主義や自由主義を忌避するあまり、明治憲法の法治主義や立憲君主制を否定する極端な心情主義に陥ってしまいました。また、自民族の文化的優位性を排他的に主張したことから、全体主義的独善に陥ってしまいました。

 こうした問題点を、思想史的にどのように克服し、その優れた面を創造的に発展させていくこと、これが今後の日本人に課せられた重要な思想史的課題ではないかと思っています。