一知半解さんブログ
塩野七生曰く「日本は”和”によって滅ぶ」/~相惜顔面・上下雷同の恐ろしさ~
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「軍部内の和を乱すまい」――不思議なことに、国の存亡がかかわるという状態になっても、このことが優先している。
塩野氏の指摘された「和によって亡ぶ」は必ずしも未来のことでなく、過去にすでに経験ずみなのである。
軍部内にも、合理的な意見があったのは事実である。
たとえば多田駿参謀次長の「無条件撤兵論」などがそれで、中国から無条件で撤兵しても、相手は海軍がないから追撃はされず、日本の国益は何一つ損ずることがない。
目的の明らかでない作戦を四年も継続し、いつ終わるか見当もつかず、何のためにやっているのか政治的目的もはっきりしないといった状態は、自らこれを打ち切ろうと思えばできるのである。
それができない。
軍の面子にかけての反対が出るにきまっているし、そうなれば激論になって「和」は保てない。
東京裁判の東條被告の副弁護人であった松下正寿氏は、「それでは部下がおさまりません」が、日米開戦の理由であった旨、述べているが、これもまた「軍部内の和が保てません」で、まさに「上下雷同」なのである。
さらに、海軍は内心では開戦に反対なのだが、「陸海軍の和」と、マスコミと一部政治家が醸成した「上下雷同」に押され、絶対に「反対」とはいわず、「総理一任」という形で逃げている。
いわばあらゆる面における「相惜顔面・上下雷同に基づく和」を崩すまいとし、衝突がないからそれが一番安全と思い、それによって破滅する。
その結果国民は苦しみ、責任者はみな、隋の遺臣を評した太宗の言葉通りの運命に陥っている。
危急存亡の時になってもこうだったということを頭におくと、日本は将来「和によって亡ぶ」という塩野氏の言葉は、一種の不気味さをもっている。
(私コメント)
日本は、昭和15年3月には、昭和16年からの自発的な支那撤兵を陸軍省・参謀本部間で正式決定しています。ようやく軍内の「和」を断ち切ったわけですが、今度は、昭和15年6月ドイツ軍のダンケルク殲滅戦で英仏軍の敗退が濃厚となり英本土上陸も間近と噂されるようになると、今度は「バスに乗り遅れるな」ということで、支那撤兵どころか対南方強硬策に急転回しました。
菅首相が、原子力発電を50%に増やすことでco225%削減することを決めた内閣の主要閣僚だったことなどまるで忘れて、再生可能エネルギー全量買い取り制度導入の先頭に立ち、これで菅おろし勢力に対抗しようとしていること。この変わり身の早さ、これを不思議とも思わない日本人の体質、これが日本人の「(身内の)和」優先と並ぶ、もう一つの「昭和の悲劇」の原因です。