6932697:「民族的文化的自決権」とは何か tikurin 2011/06/06 (Mon) 00:48:36
健介さんへ

(健)「私は日本は一民族一国家が国是だと見ています。これに反するものは一応わが国の破壊工作と見ています。」

 この「一民族」の意味ですが、人種的な観点から見れば「日本人の遺伝子には、東アジア後期旧石器時代人(3万年~1.2万年前)や縄文時代にナラ林文化を東日本に伝えた東北アジア人、照葉樹林文化を西日本に伝えた中国江南人、弥生時代になって水田稲作を伝えた中国江南人、さらに騎馬民族のほか百済・伽耶など朝鮮渡来人など、多様な民族の遺伝子が混ざり合ったまま、現日本人に保持されている」といわれます。

 つまり、日本人は人種的には雑種なんですね。それが、日本列島に居住するという「育ち」を共有する中で、それまでの人種的区別を消して一民族になった。「そこは海に、山に川に採集できるものが多くあり、稲作が到来すればそれを栽培する適地であった。同時にその収穫は、自らの意思では如何ともしがたい天候に左右された。それは日本人をごく自然に『自然信教』の世界に」導いた、というわけです。

 さらに、弥生時代を経て大和朝廷という統一国家を形成して以降は、中国や朝鮮から儒・釈・道三教合一思想を導入し、日本ではそれが神儒仏混合思想となり、江戸時代以降は新儒教であるところの朱子学を、「秩序の学」として導入した結果、幕末にはそれが国学思想と結びついて尊皇思想を生み、それが皮肉にも徳川幕藩体制を壊して、日本を天皇中心の中央集権国家へと変えて行ったのです。

 こうした大陸の普遍思想の影響が思想レベルの影響に止まり得たのは、日本列島が日本海・玄界灘によって守られていたためで、これがもし陸続きであったら、朝鮮のように「宗主国中国への朝貢を余儀なくされた儒教国家」として存立するほかなかったのかも知れません。そして、明治維新以降の日本は、それまでの思想的蓄積の上に、西洋近代文化を導入し殖産興業・富国強兵に努めた結果、アジアで唯一の近代国家となったのです。

 これは大変な幸運といえるわけですが、いずれにしろ、こうした地理的・風土的・歴史的環境の中で、日本独自の言語、神話伝説、風俗習慣、思想的伝統が形成され、それによって独自の「生活様式」を有する日本民族が形成されたわけです。このように、民族とは、氏(=血統)より「育ち」なわけですが、日本は海で隔てられていたために、日本人にとって民族とは領土と一体のものだ、としか考えられなくなってしまったのです。

 ここで考えなければいけないことは、弱小民族が、強大な普遍主義的思想をもつ周辺国家と争った場合、政治的にその国家に飲み込まれてしまうことになるが、その時、飲み込まれた弱小国家は、その民族特有の生活様式(言語、神話伝説、風俗習慣、思想的伝統)=その民族の「文化的自治権」を維持できるか、という問題です。この場合、他国に住もうと思うならそれを放棄して同化しろ、ということには必ずしもならない。

 日本の戦前の朝鮮人に対する民族同化政策が、例えそれが当時の日本人の善意に基づくものであったとしても、容易に受け入れられなかった、それどころか戦後65年たっても、消しがたい恨みとして残った、ということは、一つの民族にとって、その民族の「生活様式」を守ることがいかに大切なことか、ということを証すものではないかと思います。出来ることなら、日本も、朝鮮統治は政治的統治に止めて、生活様式については「民族的文化的自治権」を認めるべきではなかったか、と思います(安全保障問題が解決すれば独立回復させる)。

 おそらくこのことは、日本人にとっては、民族的ディアスポラを経験しない限り、判らないことなのかもしれません。これについては以前にも誰かと議論したことがありますが、日本沈没でも経験して日本人が世界に散りぢりになって生きることを余儀なくされた場合は、あるいは、日本人も他国に居住しつつ、そうした「民族的文化的自治権」を要求することになるのかもしれません。戦前におけるアメリカへの日本人移民は、アメリカに同化しないことをもって居住地のアメリカ人に排斥されたわけですが。 

 とはいえ、一民族一国家でいられると言うことは、確かに幸せなことであるとは思います。しかし、そうした恵まれた国家ばかりではないということ。日本人は朝鮮人に対して、悪意と言うよりむしろ善意であったが故に、この問題の本質に気づかずその処理を誤ったのではないか、私はそのように考えています。健介さんは、こうした観点に立つことが、日本の政治的統合やさらに文化的統合を揺るがすとお考えのようですが、韓国とはお互いの文化的伝統を尊重しつつ協力しあえる関係を構築できるのではないかと思っています。

 また、健介さんは「 現状では国内に地理的には朝鮮中国コロニーのようなものができ、経済的にもコロニーができます。これはなんとしてでも防がないと国内の秩序の維持ができません」と心配されています。これは、前述したように、日本の「一民族一国家」的文化的伝統に抵触する問題ではありますが、私は、これを鎖国的排外主義的な観点から処理するのではなく、お互いに「民族的文化的自治権」を尊重し合うという方向で処理すべきだと思います。

 そうした長期的観点に立ったより広い他民族文化に対する受容力を、日本文化も持てるようにならないといけない、と私は考えています。

6935108:Re: 「民族的文化的自決権」とは何か tikurin 2011/06/08 (Wed) 11:54:18
健介さんへ
>>弥生時代になって水田稲作を伝えた中国江南人、さらに騎馬民族のほか百済・伽耶など朝鮮渡来人など、多様な民族の遺伝子が混ざり合ったまま、現日本人に保持されている

(健)これは既に考古学的発見によって、水田耕作は縄文時代において行われていますよ。
 渡来人が大量に来たとか稲作は朝鮮から来たとか、弥生縄文時代のみかたは大きく変更をすることでしょう。

tiku日本で稲作が始まった時期について私は、http://www7b.biglobe.ne.jp/~sitiheigakususume/goroku_nihonshi.html#「いつ頃日本人は発生したか」で、上記の記述の後に次のように書いています(紹介ですが)。
「なお、その後の研究で、縄文時代は、雑穀、根菜型の焼畑農業ばかりでなく陸稲栽培も行われたことがわかってきています。また、弥生時代の始まりを紀元前1000年頃まで溯らせるべきとする意見も出てきています。
 従来、弥生時代の始まりは紀元前5世紀頃と考えられていましたが、これが5世紀以上溯る可能性も出てきているわけです。紀元前1世紀頃から始まる急激なクニの発展も、これによって説明できるのではないでしょうか。」
 
  なお、以上の説を踏まえれば「水田耕作が縄文時代に行われていた」ではなく、弥生時代が5世紀以上遡る、でしょう。(といっても陸稲栽培を弥生時代に含めるかどうか異論はあると思いますが)。また、私は「水田稲作を伝えた中国江南人」と言っていますし、朝鮮から渡来人が来たことは間違いありません。

 しかし、私がここで言っているのは、稲作の起源のことではなく、日本人が民族的には雑種であることを指摘したに過ぎません。

>>戦前におけるアメリカへの日本人移民は、アメリカに同化しないことをもって居住地のアメリカ人に排斥されたわけですが。 

(健) これはたぶん異なります。史上初めて自国の文化を保持せず、アメリカに埋もれた民族として日本人は取り上げられているはずです。

tiku 私は排日移民法当時の日本人について言っているのですが、日本人が外国に居住すると自国文化を保持できない、ということは、それだけ文化的基盤が脆弱だと言う事になりますが、そういう意味ですか。

>>前述したように、日本の「一民族一国家」的文化的伝統に抵触する問題ではありますが、私は、これを鎖国的排外主義的な観点から処理するのではなく、お互いに「民族的文化的自治権」を尊重し合うという方向で処理すべきだと思います。

(健)日本人が日本列島から外国人を追い払おうとすることは別にしてはいけないことではない。

tiku 何れの民族に対しても鎖国的排外主義的であってはいけないということで、民族的自治権と言っても、いろんなレベルがあって、ここではお互いの生活様式を尊重するといった程度です。外国人が他国に住んだ場合、その国の法律の遵守義務を負うのは当然です。

(健)多くの日本人が朝鮮人を嫌っていますがその理由を朝鮮人自身が調べて、それについて考察したものがありますか?

tiku 私が知っているのは、呉善花さん、キム・ワンソプさん、専門的なところでは金日坤さん位です。少ないことは事実ですね。

(健)終戦直後の朝鮮人行動を一度調べて、現在の在日朝鮮人にそれに対して現在どのように思うかをたずねて、それに対しての返答はありますか。?

tiku 終戦後、私の家には旭化成の工場労働者として徴用された朝鮮人の家族が間借りしていました。私が浪人中の頃だったか、その人の子供が父親の遺骨を探しに大阪からやってきました。幸い、近くの神社に預けられていて、涙を流して喜び持って帰られました。その他、中学校時代には在日朝鮮人の友達もいましたが、根性のある子でしたね。彼らに対しては、幼児の頃、差別的な言動したことをうっすらと覚えていますが、私の両親はそのような感情は少しも持っていないようでした。私の場合その程度です。あなたは、どんな直接的経験を持っているのですか? 

(健)いずれにしてもわが国は一民族一国家で戦前目指したような帝国という考えは必要ありません。

tiku一民族一国家が「帝国」的に振る舞ったところに問題が生じたのです。朝鮮人の問題はその後遺症でしょう。そのことを自覚すべきだと言っているのです。

(健)一民族一国家に触れるものはわが国の破壊工作とまず第一に認識することだと思います。

tiku 私は、日本の民族的文化伝統をより懐の深いものに発展させなければと思っています。すぐに同化吸収されるようなものではダメですから。ところで、おっしゃっているのは「外国人の地方参政権」の問題だと思いますが、日本は防衛問題でも、国家意思より地方の意思が尊重されたりしますし、自国の文化的伝統が何なのかも判らなくなっていますから、まず、そのあたりの再建をしっかりすべきだと思います。排外主義的になっても困りますから。6/8 12:00校正

以上