6919801:長いものには巻かれろ tikurin 2011/05/22 (Sun) 11:58:30
昭和の悲劇は、近衛文麿の思想への理解を欠いては決して判らない(9)
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コメント

ひろちゃんさんへ
 「長いものには巻かれろ」・・・この言葉は、近衛が巴里講和会議に随員として西園寺について行ったころ、例の「英米本位の平和主義を排す」の論理で英米を批判したのに対して、西園寺が近衛に言った言葉ですね。

 近衛にしてみれば、論壇に登場したばかりで理想主義的人道主義・平等主義に燃えていましたから、この議論をぶつけたのだと思いますが、政治的経験豊かな西園寺は、この言葉によって,近衛に外交の要諦を教えようとしたのだと思います。

 では、西園寺は外交をどのように理解していたのでしょうか。

 次の言葉は西園寺が亡くなる少し前(1940年死亡)に幣原に言った言葉だそうですが、「長いものには巻かれろ」という西園寺の言葉の意味をよく伝えていると思いますので紹介しておきます。(『外交五十年』より)

 「政友会の一政客が西園寺公のところに行って、どうも幣原のような軟弱外交では、日本の国威は進展しませんというようなことをいったそうだ。すると西園寺は、「君、一体軟弱外交とはどんな事か知っているか。幣原のやっているのは強硬外交だ。自分はあれほど強硬外交をやっているのを見て、うまく成功すればよいと祈っている、といって突っぱねた。西園寺公はそのことを私に話され、彼らはそれを恨みに思って,一層君に禍するだろうと、後で気の毒に思ったが、実際自分はそう思っているといわれた。

 (西園寺が言うには)幣原外交の実態は何かと、屡々世間から聞き質されたが、それは1+1=2あるいは、二二が四というだけである。それに対して二一天作の六、もしくは二二が八というような、道理に合わないやり方、相手を誤魔化したり、だましたり無理押しをしたりすることを外交と思ったら、それは大間違いであって、外交の目標は国際間の共存共栄、即ち英語でいわゆる、リブ・エンド、レット・リブということにあるのだ」と述べたそうです。

 このリブ・エンド、レット・リブは Iive and let others liveの略で「自分も生き他をも生かしめよ」が本義で、互いに干渉せずに共存する、(他人の考え・欠点などに)寛大である(ジーニアス英和辞典)という意味ですが、西園寺の使った「長いものには巻かれろ」という言葉の意味は、そういうことを意味していたのかも知れませんね。