健介さんへ
>>tiku 『蒋介石秘録』等で蒋介石の言葉を読むと、中国における「大人」という言葉にふさわしい悠然たる風格と知性を感じますね。それにしても、中国の国民が、「不念旧悪」「与人為善」という蒋介石の呼びかけによく従ったものだと驚きます。こうした蒋介石の「以徳報怨」の態度は、旧軍人を含めた多くの日本人を感動させました。しかし、蒋介石がやったことはそれだけではなかった。ソ連による日本の分割占領を阻止しようとしたことや、また、対日賠償請求放棄を率先し戦後日本の復興を可能ならしめたのも氏でした。このことを、日本人は決して忘れてはならないと私は思います。
>これはナイーブ過ぎるでしょう。蒋介石は台湾を資産を取りましたよ。もし交渉をするとなったら台湾や満州に合った日本の資産を計算をするとこまるのではないですか?
tiku 確かに、満洲や台湾それに中国の主要都市のほとんどが含まれたという日本占領地における日本の投資額(在外資産)は膨大なものであり、蒋介石は日本との平和条約でそれを「現物賠償」として没収しました。ただし、それ以外の賠償請求権は放棄しました。果たして日中戦争の間、中国が被った被害がどれほどのものか、蒋介石は、この間、戦闘は大会戦22回を含めて38,922回、3,311,419人の将兵が死傷し、非戦闘員の死傷は842万人を超え、さらに一家離散、飢餓などの被害を加えれば、その数は膨大なものになる。一方、公私有資産の直接的損失は・・・1937年6月現在の米ドルで換算して313億余ドルに達し、・・・日本政府の一般会計歳出の・・・全額を持って賠償に当てても半世紀近い年月を必要とする・・・と述べています。
その一方、ソ連による満洲略奪については次のように述べています。
「九・一八事変」以来14年間、日本は百億ドルを超える資産を東北に投下、膨大な発電設備を始め、銅、鉄、石炭の再掘、セメント、紡績、石油、化学工業など最新設備の工場を建設し、三千五百万人の東北同胞の血と汗のうえに、一大軍事工業システムを作り上げていた。
国民政府は、これら東北にある日本の鉱工業資産は、すべて中国にたいする現物賠償に当てることをソ連に通知していた。しかし、ソ連側は、これに一切耳をかさず、東北の鉱工業はソ連の”戦利品”だと言い張り、そっくり取り外して盗みさったのである。・・・
ソ連の略奪は、生産設備に止まらなかった。日本の関東軍の武器、装備も大量に上るその量は、関東軍がかって「十年間の戦争を維持できる」と豪語したものであった。これらの武器を、ソ連は、共産軍にそっくりそのまま渡した。
これを見ると、中国が計算した物的な被害額と日本が残した在外資産評価額とは、満洲、中国本土、台湾のそれを含めると、ある程度バーターするかも知れませんね。もちろん、人的な被害補償を除外した場合の話ですが・・・。この後者の部分の賠償請求を放棄したという意味ですね。蒋介石の「以徳報怨」と言われる終戦処理の意味は。これによって、約213万人に上った日本人軍民が、強制労働などの報復的措置を受けることなく、約10ヶ月後の1946年6月までに一部戦犯を除いて全員日本に送還されたのです。これをソ連のやったことと比較して見る必要があると思いますね。
>難しく考えるのではなく、負ける事がわかっている国に応援をする国は無いという単純な歴史的事実を思い起こせば言いだけで、何とかしてソ連に頼むというのは頭がいい人が頭で考えるだけのことに過ぎない。
tiku ソ連に対する対応を誤ったのは、日本だけではなくアメリカもそうだったのですね。1946年4月22日の蒋介石の日記には次のような記述があります。
「政府軍の輸送は米国に頼らなければならず、一切の計画は米国の牽制を受けている。ところが米国は、その海軍の出動を見合わせ、輸送を中止すると脅迫し、共産党に妥協せよという米国の建議を、われわれがのまざるをえないようにしている。今共産党と妥協することは、ソ連に屈服することにほかならないということが、まったくわかっていないのである。共産党の意気が高揚しているいま、米国の過酷な条件を甘んじて受けることは断じてできない。このことをマーシャルにはっきり述べて、彼の覚醒をうながすべきだろう。」
つまりアメリカは、戦後の中国の政治的統一について、蒋介石に対して共産党と妥協して連合政府を作るよう圧力をかけたのですね。ところが共産党の戦略は、「不戦不和(戦わず和平もせず)、以戦以和(戦うようであり、和を求めるようでもある)の局面の元で、取りきめを引き伸ばし、国家を混乱状態のおちいらせ、政治を動揺させ、経済を破産させ、持って政治を転覆し、中国を赤化することをもくろむもの」(6月24日日記)だったのです。そしてその革命プログラムをソ連と共同歩調を取って遂行していったのです。
>それよりも終戦のやり方も、開戦のやり方もまじめすぎます。
tiku 黄文雄氏は、日本は日中戦争を通して「中国に法治主義による平和をもたらし、占領地における産業近代化を推し進めた。中国人は日本の占領によって平和と安定の尊さを知ることができた」と述べています。日本の満洲建国も「連省自治の平和構想の実現」であり、近衛首相が発した「東亜新秩序建設」も軍閥、匪賊から搾取、略奪を受けることのない、そして生命、財産が確実に保護される平和な秩序をアジアに打ち立てるという意味で文明的な意義を持っていた、と言います
こうした観点からいえば、蒋介石の台湾における統治は、日本のそれに比べて相当拙劣なものであったようで、黄文雄氏はそうした経験を踏まえて、この時代の日本人の「善意」と「近代国家建設能力」を肯定的に評価しているのです。私も、「善意」はないよりあった方がいいと思います。しかし、「善意」の押しつけは、おおにして他者の人格を無視することになり、それを国家間で武力を用いて強制すれば文化侵略となり恨みを買うことになる。要するに、こうした影響力行使における方法や手順の合法性が求められるのですね。「まじめ」であるということは、この合法性を守るという意味では大切なことだと思います。日本は満州事変以降これを軽視したし、昭和16年末の日米交渉に関して言えば、”カッ”となったのが失敗だった、ということですね。そこが、維新期の修羅場をくぐった明治の指導者と、学歴エリート軍人であった昭和の指導者の違いだと思います。